ダメ教師の害

404 Blog Not Found:ダメ教師の効用

「長方形の面積を正しく計算するより、人々によって採点方法が異なることを身体で覚えてくれる方がありがたい。」
「ダメ教師のどこがダメかを今のうちに知っておいてほしいからだ。」

こういったことは凄く納得できる。そして「いざとなったら教師を変えればいい」という考えはいいなと思うのだけど。いざという時でも大抵の親なら「我慢しなさい。」で終わってしまうのではないだろうか。と考えてしまう。


私の周りの大人たちは学校という場所、教師という者に対してちょっとした宗教めいてる程に信頼をしていて、学校で辛いことを耐えるのは良いことだ!と信じきっている。実際私の大学院での担当教授は最悪な教師だった。親にその事を伝えると、そういう事に耐えてこそ社会に出られるだとか言われた。幸い私はそれが自分に意思決定でどうとでもなる年齢だった。親が学費と生活費を出してくれることを良いことに親には良い顔をし学生という身分をお金で買い、裏では大学院はサボれるだけサボって空いた時間で好きなことをしまくった(現在進行中)。おかげで好きなことの目標を決め、ようやくその入り口付近には来ることができた。


しかしこれが小学校、中学校では難しい。子供がどんなにダメ教師について話したところで「子供のいうことだから」と聞かない親も沢山居るだろうし、前述のように耐えることが良いこと、と信じてやまない親も沢山居ると思う。そうすると子供は不登校という道もあるのだが、この道も周りの協力無しでは良い環境ではないだろう。


さらに悲しいことは、ダメとわかっていてもダメに触れるとダメが染み付くこともある。ああいうのはダメなんだ、と理解しても「良い行い」が理解できるわけではない。ダメの反対をすれば良いわけではないからだ。とはいえダメを知ることが悪いわけではない。「良い」を存分に知った後にダメを知るのは大切なことだと思う。


小飼氏のような方が親なら「教師はその程度の存在」と言えるだろうけど、ダメな親を持つ子供がダメな教師に当たったときはやっぱり子供にとって弊害だと思う。なんてことを書いてると、結局親が大事なんじゃん、って結論になってしまった。うーん、おかしいな・・(笑)


小飼氏のような親が増えてくれることを節に願うばかりである。