理解できないものは恐ろしい、だから排除したい

プレイもしないで「暴力ゲーム」を非難しないで - ITmedia アンカーデスク
最近Grand Theft Autoというゲームの残虐性が話題になってます。プレイ動画を見てみたのですが、確かにグロい。あまりこういったゲームに馴染みの無い人なら気持ち悪くなるくらいにグロいと思う。私も見ていて嫌な気分になりました。こりゃあゲーム脳がどうとか言われてもしょうがないよなぁとも思わなくも無い。


「嫌な気分→無くしてしまえ」それでいいのか?
このゲームの印象は(プレイ動画を見ただけですが)正直言って悪いです。こんな残虐なゲームの何が嬉しいんだと不快感さえ覚えます。そうすると私の中では「残虐すぎる→理解できない→こんなゲームをやったら頭がおかしくなる→無いほうが良い」ってな思考になってしまします。しかし私が気持ち悪いと思うからといって、このゲームの良し悪しは決まるわけではありません。気持ちが悪いというのはあくまで個人の問題だからです。


ポルノ規制とか、ネット規制とかも同じ気持ち
こういったゲームを気持ちわるいと思う自分を見ていて、ポルノ規制とか青少年ネット規制とかで動いている人もこんな気持ちなんじゃないかなと思った。児童の被害とか青少年の健全な育成とか言ってるけど、根本的には「理解できない→無くしてしまいたい」って言うだけなんじゃないかなと思う。そしてそこ後から政治的な意味とか引っ張り出して理論武装する。そう考えると最近の規制がどうとかも理解はできるかなと思う。


人それぞれという事で
私は普段はネット規制とかに反対しているくせに、今回のようなゲームとかロリ系エロマンガとか見ると「こりゃあやりすぎだ、ダメだろ」とか思ってしまうことも多々あります。いつもは自由がどうとか言ってるくせにです。そしてそんな矛盾する二つの自分を見ていて、やっぱり規制とかは良くないなぁと思ったわけです。自分の理解できないものは無くしてしまいたい、と思うのは自然といえば自然な事です。しかし、だからと言って本当にそれをなくしてしまうのは、ただの自己満足じゃないかなと・・



うまくまとまりませんでしたが、自分も規制規制と叫んでるバカな政治家と変わらないなと気づかされたニュースでした。これからは気をつけたいものです。