ネットの”情報”を"体験"にするために必要なこと
先週友達と人の成長と情報技術についてちょっと話したので簡単にまとめてみる。
簡潔に言うと友人は「人はリアルで、5感で感じながら体験することによって成長する。」というのだ。これはよくあるネット批判で、ネット大好きな俺としても完全には否定しきれない問題です。
ネットにある情報を毎日見て役に立たないことはないのだけど、ネット中毒者の中には、薄っぺらい話しかできない人もいる。知識は幅広いのだけど、視野が狭かったり、偏っていたりとかね。
まぁ、その原因がネットだとは限らない。世の中の何人か一人の割合で、そういった人がいるから。それでもネットの情報だけでは人は成長しない。やはりリアルでの体験が人には不可欠である。という事は、自分たちが生まれた後にネットができた我々にとっては、ある程度思いは同じだと思う。
それでも、俺は思春期のころからインターネットがあり、エロ本を拾ったりすることもなく、すべてネットですませてきて、ネットのおかげで成長ができたと思っている。ネット信仰とも呼べるほど、俺は人の成長にネットは多大な影響を与えているとも同時に思っている。
じゃあ、ネットで体験をするにはどうすればよいのか、ということで友達を説得させた答えは「アウトプット」です。
ネットは莫大な情報が詰まっています。じきにオンラインで読めない書籍も無いような時代もくるかもしれません。しかしそれだけ莫大な情報でも、我々はそのすべての情報にアクセスするわけではありません。結局は自分が見たいものしか見ません。所詮「半径ワンクリック」なんですよね。
そういったネットの使い方をしている限り情報は情報でしかありません。知識が増えても、知恵はつきません。
しかしネット上でアウトプットをすることによって、入ってくる情報は広がります。自分の予期もしなかった繋がりが見えてきたり、好みじゃなかったもののよい一面を教えてくれる人もでるでしょう。また人からの反応もあります。自分の行為に対しての批判や称賛、ひどいときには誹謗中傷もあります。
そうしたときにネットの情報は体験になります。情報は能動的+受動的であり、人からの反応によって嬉しかったり悲しかったりします。それはリアルの世界となんら変わらない体験であるといえるでしょう。
そして人はネットを通して体験を経て、成長をするんではなかろうか!というのが友達を説得した内容です。
本音を言うと、ネットを見ているだけでも、その空気を感じられる人間は十分に”情報”を”体験”に落とし込むことができるとも思うのですが、まぁアウトプットは更にそれを加速させる行為だと思います。
これってまだまだネット中毒者の考えですかね。ネットはひとつのリアルだと思うんですけど、みなさんはどうですか。