耐えることで身につく力

1年間続けたら〜、なんて事はよく耳にしますね。そういうのを聞くと、1年間って基準は何なんだよと言いたくなる。継続することは非常に良いことだとは思う。続けないと手に入らないものは確かにある。だけどその期間は10年間かもしれないし、1週間かもしれない。1年という期間は地球が太陽の周りを1週する期間であり、何かが身につく期間ではない。

そして、その1年という単位を「耐えること」はイコール「努力」みたいによく言われます。会社や学校なんかをすぐに止めようとすると、1年間は行ってみないと分からないよ、と、全く根拠が不明なアドバイスが一般的だったりする。いや、根拠は恐らく、その人の経験から来るものだと言うんでしょうが、あやしいものだ。1年間というものをハナっから神聖化して見てたりするからだ。

もちろん「継続」は非常に良いことだと思う。続けるということは、とても大きなエネルギーを生み出す力になる。しかし「継続」と「耐える事」は全く違う。自分にとってプラスになる事を続けるのは非常に良いことだが、嫌々と信じることが出来ないことを続けることにはあまり価値がないんじゃないだろうか。結局のところ「耐える事」で身につく力は「耐える力」だからだ。

そして苦しみを耐えた人間は、苦しむ事に慣れ、それによって自分が成長したと感じる。そして、酷い場合にはまたそれを人に強要させたりもする。耐えぬいて身につく力、と耐える事を止め、自分に合う世界を見つけ自分を伸ばした人間と、どちらが成長するのだろか。視点によって全く変ってくるとも思うが、僕は「自分に合う世界」を見つけた方が成長すると思う。


世界にはさまざまなコミュニティーがあり、仕事の種類も無数に存在する。そしてそれを検索することだって容易になった今の時代、耐える事を止める事、こそ非常に重要な事なのではないだろうか。耐えて身につく力なんかより、もっともっと自分を成長させてくれる世界へ飛びこむこと。その為のインフラは整いつつある。あとは人々の意識を変えるだけなのだ。